2012年09月23日

広告除去・ユーザー追跡回避の是非について

幸運にもウェブ業界の中の人と会話する機会に恵まれたので。その際考えたことを。


adblockアドオンなどによる、広告やユーザー追跡の回避は許容されるべきか?
自分は、当然に許容され、尊重されるべきと考えている。

個人の意見として、自分は広告やユーザー追跡にも、積極的に読みたいものや、ユーザーの利便性のために必要な部分はあると考えているが、自分に必要ないものは可能な限り排除したい。

広告は単純に不愉快であるし、過剰に広告からの利益に最適化されたコンテンツは、コンテンツ自体の中身が重視されなくなる点で社会的にも不利益を生じていると考えている。
ユーザー追跡や個人情報収集は、幾つかの訴訟を経て法的な安全は担保されつつあるが、誰かが法をこっそり逸脱しているという不安は、常に不信の目で監視しなければならない社会的なコストを生むし、情報=秘密が価値を持つという業界の特性上、内部を公開して潔白を証明することが原理的に不可能だ。

というわけで、
個人が広告やユーザー追跡をブロックするのは、当然の自衛手段であり社会的にも有益と考えている。

これはインフラタダ乗り論と揶揄されるかもしれないが、自然かつ妥当な欲求であると思うし、ユーザーの要求を受容できないインフラが経済的に破綻するのは、資本主義的に考えて仕方が無いことと思う。
もし、安全かつブロック可能な広告では、経済的に維持できないネット上のインフラが本当に必要なら、税金で維持してしかるべきものであって、商業的に成功しないからおかしいとするのは的はずれだ。

また、不愉快な広告を打つことは(中間搾取がなければ)広告主にもエンドユーザーにとっても損である事は明白だ。個人的には、ユーザーが不愉快な広告を除去することは当然であると思うし、もっと推し進めるならば、ユーザーが見たい広告を載せ、ユーザーが見たくない広告を排除するのはコンテンツ配信側の責任と思う。

現在のウェブの環境は、広告出稿元・広告配信業者・広告掲載先・エンドユーザの関係が、lose-WIN-lose-loseに極めて近く、少数のプレイヤーのほんのわずかな法の逸脱で大きく傾く、危ういwin-winであると感じている。

全体の利益最適化としての(現状よりもやや小さいかもしれない)win-win-win-winを実現するためには、広告の質とユーザー追跡・個人情報管理の安全性を担保する技術的な保証が求められる。
たとえば、ブラウザに広告データベースを載せ、個人情報を一切漏らすことなく、広告の利益化実績だけを元に利益が回るような、理想的な実装が普及することは不可能ではないと思う。現状、そんな方向性は全く見られないが。


現実はユーザの自衛手段を奪うことで、取捨選択そのものを有耶無耶にしようとしているようで、とても残念な事になっていると感じている。
ユーザの自衛として個人の取捨選択が反映されていけば、いつかそうなることは夢というほど非現実的ではないと思うのだが……

posted by ko-zu at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 広告・ユーザ追跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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